父が忘れても、私は忘れない。認知症の父と過ごす毎日

看護師が伝えたいこと

「親孝行したい時に親はなし。」

昔からよく聞く言葉です。

でも私は、この言葉だけでは片づけられないと思っています。

私は今、認知症の父と過ごしています。

だからこそ感じることがあります。

親孝行とは、特別なことをすることではなく、今日という時間を一緒に過ごすことなのかもしれないと。


父子家庭で育った私

私は父子家庭で育ちました。

だから父に対する思いは、人一倍強いのかもしれません。

昔から私は「パパっ子」でした。

いつも父の後ろをついて歩き、父の背中を見ながら育ちました。

私が覚えていない幼い頃の思い出を、父は今でもたくさん話してくれます。

だから今度は、私の番です。

父が忘れてしまう今日という一日を、私がちゃんと覚えていようと思っています。

大好きな父だからこそ、認知症になった父と過ごす毎日は、笑顔になれる日もあれば、胸が苦しくなって涙があふれる日もあります。

それでも私は、父と過ごせる一日一日を大切にしていきたいと思っています。


ラーメンを食べたことも忘れてしまう父

父はラーメンが大好きです。

時々、「ラーメン食べに行こう。」と言うので、一緒に出かけます。

ラーメンを食べながら、

「懐かしいなぁ。」

「美味しいなぁ。」

そう言って嬉しそうに笑う父を見ると、私まで嬉しくなります。

でも、お店を出て数分もすると、

父はラーメンを食べに行ったことを忘れています。

その瞬間だけを見れば、切なくなります。

でも、一緒に食べたラーメンも、

父の笑顔も、

私がちゃんと覚えておこう。

そして、父との思い出を1つでも増やしていこうと思います。

認知症って、厄介な病気です

本当に認知症は厄介な病気です。

「買い物に連れて行って。」

そう言われて車に乗せ、スーパーへ向かう途中でも、

「どこに向かってるの?」

と、父は何度も聞いてきます。

ゴミを出す曜日も分からなくなり、

「毎日が日曜日だもん。」

そう言って笑っています。

財布がない。

携帯がない。

眼鏡がない。

そんなことは日常茶飯事です。

父はいつも何かを探しています。

じっとしていることができず、散歩へ行って帰ってきても、

数分後には、

「散歩に行ってくる。」

と、また玄関へ向かいます。

散歩に行ったこと自体を忘れてしまうのです。

今はまだ、自分の家が分かるので無事に帰ってきます。

でも私は、心のどこかで考えてしまいます。

「いつか家も分からなくなる日が来るのではないか。」

その不安は、いつも心の中にあります。


介護をしている人にしか分からない気持ち

私には兄弟が二人います。

でも二人とも県外に住んでいます。

相談もしますし、話も聞いてくれます。

でも、毎日父と向き合っているのは私です。

だからこそ、

私にとっては大問題でも、

言葉で完全に伝えられないもどかしさと

現実を知らない 温度差みたいなものがあって

兄弟を責めているわけではありません。

ただ、毎日一緒にいる人にしか分からない現実がある。

それが時々、とても寂しく感じます。


認知症になっても、父は父でした

認知症になると人格が変わる。

そんな話を耳にすることがあります。

もちろん、病気の進み方は人それぞれです。

でも父は違いました。

昔から庭仕事が大好きで、

草むしりや木の剪定をしていると、本当に生き生きしています。

DIYも得意で、拾ってきた木材で棚を作ったり、壊れたものを直したり。

認知症になった今でも、

「できることは自分でする。」

そんな父の姿は昔と変わりません。

家事も、自分にできることは進んで手伝ってくれます。

そして何より、

父は昔からダジャレが大好きです。

くだらないことを言って、

自分で笑って、

私を笑わせようとする。

その姿を見るたびに思います。

認知症になっても、

父は父のままでした。

そんな父が、私は今でも大好きです。


「ありがとう」の一言

意味が分からない行動に戸惑う日もあります。

私の思い通りにならず、つい強い口調になって怒ってしまう日もあります。

また 強い言い方をしてしまったと自己嫌悪になり、自分を責めてしまいます。


それでも父は、私にいつも言ってくれる言葉があります。

「ありがとう。」

私は何もしていません。

ご飯を作ったり、

洗濯物を畳んだり、

散歩に付き合ったり。

そんな当たり前の毎日です。

それでも父は、

何度も、

「ありがとう。」

と言ってくれます。

その一言があるから、

私は今日も頑張れます。

介護を続けられている理由は、

きっとその一言なんだと思います。


生きていてくれるから

こんな生活が、いつまで続くんだろう。

そう思う日もあります。

介護に終わりは見えません。

認知症は少しずつ進んでいきます。

だから不安になります。

でも、

父は今日も生きていてくれる。

だから私も頑張れます。

私は、生きているうちに、

精一杯の「ありがとう」を伝えたいと思っています。

「あの時もっと会いに行けばよかった。」

「もっと話を聞いてあげればよかった。」

そんな後悔だけはしたくありません。

だから私は、

できることを、

できるうちにやろうと思っています。


父が忘れても、私は忘れない

父は明日には今日のことを忘れてしまうかもしれません。

いつの日か 私が娘だということも忘れてしまう日が来るかもしれません。

父が忘れてしまっても、

私が覚えていればいい。

父と笑った今日という一日を。

一緒にラーメンを食べたことも。

庭で笑いながらダジャレを言っていたことも。

「ありがとう」と言ってくれたことも。

私は全部覚えていたい。

親孝行は、親が覚えていてくれるためにするものではない。

自分が後悔しないためにするものなのかもしれません。

だから今日も私は父に会いに行きます。


最後に

この文章を書きながら、何度も父の顔が浮かびました。

認知症になって失ったものはたくさんあります。

でも、それ以上に、父が教えてくれたことがあります。

「今日、一緒に笑えることは、当たり前ではない。」

だから私は、今日という時間を大切にしたい。

もしこの記事を読んでくださった方のご両親が、今も元気でいてくれるなら…。

今日、ほんの少しだけでいいので、顔を見に行ってみませんか。

電話一本でも構いません。

その何気ない時間は、いつかきっと、かけがえのない思い出になります。

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