言葉を忘れても、歌は忘れていなかった|認知症の患者さんが教えてくれた音楽の力

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認知症になると、言葉を忘れたり、自分の気持ちをうまく伝えられなくなったりする方がいます。

しかし、言葉では伝えられなくても、心の奥に残り続けるものがあります。

私が精神科認知症病棟で勤務していた頃、一人の患者さんとの出会いを通して、そのことを深く実感しました。

病棟のピアノから始まった、小さな奇跡のような出来事をお話しします。

私が精神科の認知症病棟で勤務していた頃に出会った一人の女性の患者さんは、会話はほとんどできませんでした。

返事は「うん」と「いや」くらい。

こちらが話しかけても意味を理解することは難しく、言葉で気持ちを伝え合うことはできませんでした。

その患者さんは、誰かが付き添わない限り、一日中病棟の中を歩き続ける方でした。

私は10分ほど歩いたら一緒に椅子に座っていただき、水分補給をしたり、洗濯物を一緒にたたんだり、ときにはベッドで休んでいただいたりしながら過ごしていました。

「歩くことをやめてもらう」のではなく、「安心して歩けるように寄り添う」。

それが、その頃の私の日課でした。

「ふるさと」を弾くと笑顔になった

ある日、病棟にあったピアノで「ふるさと」を弾いてみました。

すると、その患者さんは突然、手拍子をしながら笑顔になったのです。

歌詞はほとんど出てきません。

でも、不思議なことに、メロディーはなんとなく覚えている様で 鼻歌のように歌い、最後の「ふるさと」だけは、はっきりと口にされました。

私は驚きました。

言葉は忘れてしまっても、長年親しんできた歌というのは、心の奥深くに残っていたんだと。

その姿を見た私は、胸がいっぱいになりました。

音楽が日課になった

それから私は、「きっと、この方は歌が好きだったんだな」と思うようになりました。

「赤とんぼ」

「うみ」

「上を向いて歩こう」

いろいろな歌を弾くたびに、患者さんは手拍子をし、鼻歌を歌いながら約20分間、椅子に座って音楽を楽しんでくださいました。

演奏が終わると、また病棟の中を歩き始めます。

だから私は、「歩くことをやめてもらおう」とは考えませんでした。

一緒に歩きながら歌を口ずさむと、この方はとても穏やかな笑顔になることが分かったからです。

それ以来、病棟を歩きながら一緒に歌う時間は、私たちの日課になりました。

手をつないでくれた日

その日も、いつものように病棟の廊下を一緒に歩いていました。

私は「ふるさと」を歌い始めました。

患者さんは嬉しそうに微笑み、手拍子をしながら歩いていました。

「今日も笑ってくれた。」

そう思いながら歩いていると、突然、その患者さんが、そっと私の手をつないでくださったのです。

私は思わず驚きました。

そして、その優しい笑顔を見た瞬間、こんなことを想像しました。

「昔、お姉さんや妹さん、お友達と手をつないで歌いながら歩いたことがあったのかな。」

もちろん本当のことは分かりません。

でも、その笑顔はとても懐かしく、幸せそうでした。

私も胸がいっぱいになり、思わず笑顔になりました。

音楽は心の記憶をつないでくれる

認知症になると、言葉を忘れたり、自分の気持ちを伝えることが難しくなったりします。

それでも、その人が歩んできた人生や、大切な思い出まで消えてしまうわけではありません。

この患者さんは、音楽を通して笑い、楽しみ、そして私の手をつないでくださいました。

私は、この出来事を通して、音楽には人の心の奥深くにある記憶を呼び覚まし、安心や笑顔を届ける力があるのだと感じました。

私は患者さんを支えているつもりでいましたが、本当に多くのことを教えていただいたのは私の方でした。

認知症になっても、その人らしさや温かい心は決して失われるものではありません。

今でも「ふるさと」を聴くたびに、あの日の優しい笑顔と、そっと手をつないでくださった温もりを思い出します。

そして私は、これからも患者さん一人ひとりの尊厳を大切にし、その人らしさに寄り添える看護師であり続けたいと思っています。

看護師という仕事を、私は心から誇りに思っています。

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